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アナフィラシキー



 アナフィラシキー事故報告内容

調布市立学校児童死亡事故検証結果報告書(平成25年3月)

※↑クリックしますと、pdfファイルがご覧いただけます。
 
調布市の小学校で起きた痛ましいアナフィラキシーの報告書をお読み下さい。
当時の現場の状況が手に取るようにわかります。
 
次に当クリニックでの例を紹介します。
エピペンを実際に自己注射した患者さんご本人、また娘に注射した母親の貴重な体験談をお読みいただきます。
これらをお読みいただくと、どのようなタイミングでエピペンを注射するのかよくお分かりになると思います。
アナフィラキシーはいつ起きるかわかりません。その現場で実際に治療した方々がどのように迷い、不安になりながら決断したその過程が良くお分かりになると思います。
 

経験 その1

 
この方は卓球の選手です。特定の食べ物を食べた後に運動をするとアナフィラキシーなります。このような状態を数回経験されています。
 
私は今から15年前30才で食物依存性運動誘発アナフィラキシーを発症しました。
初めて症状が出たのは、昼ごはんに生卵を食べてその1時間後に卓球の練習をしていた時です。
急に鼻水くしゃみが出始めて全身が痒くなり、見たこともないような顔面の腫れが起こりました。
すぐに運動はやめて涼しいところで座っていたものの、吐き気・下痢・寒気が起こりどんどん気分が悪くなって横になりました。
それまで全くアレルギーとは無縁で、その時何が自分に起こっているのか分かりませんでした。
 
尋常じゃない状態で、発症して30分後くらいで救急車が呼ばれました。
病院へ搬送された状態は血圧低下・低体温・呼吸困難に陥っていて、これがアナフィラキシーショックと初めて知りました。
 
食べ物に注意し食後すぐの運動を避け、軽い発症でも頓服薬を使うことで重症化するのを防いでいますが、その後も重い症状を起こし病院へ駆け込んだことが何度もあります。
一般人のエピペンの使用が認められてからは、主治医よりエピペンの携帯を勧められました。
 
実際にエピペンを使用した時のことです。
いつものように初期症状が出始めたので頓服薬を飲み休んでいたものの、吐き気がひどく薬の効果が期待できません。
全身に蕁麻疹が広がり目がふさがるほど顔面が腫れて、耳鼻喉の奥が詰まっている感じがします。
すぐに病院へ行こうと建物から出てタクシーに乗ろうとしましたが、あまりにも気分が悪くてわずか50mも歩くことが出来ません。
ぐったりした状態で道脇に座り込んでしまいました。人通りもありませんでした。
10分位経ったでしょうか、これは非常に危険な状態なのでエピペンを使わなければいけないと判断しました。
自分でエピペンを取り出し服の上から太ももに注射を打ちました。5分程じっとしていたら少し楽になってきたので、どうにか歩いて大通りまで出てタクシーを拾い病院へ行くことが出来ました。
 
以前にアナフィラキシーショックを起こしているからこそ、その危険度を自分で判断出来たと思います。
 

経験 その2

 
6歳の娘にママがエピペンを打った経験です。
 
わたしの娘(6歳)には、乳、卵、小麦に対して食物アレルギーがあります。この春訪れたタイで、卵の誤食により、アナフィラキシーを引き起こし、昨年の夏に牛乳の誤食によりアナフィラキシーショックを起こした時に処方されたエピペンを初めて使用しました。娘のお話をお伝えし、いざというときの皆さまのご参考になればと思います。
 
昨年の夏、猛暑のさなか、新しく産まれた4番目の赤ちゃんの手続きをするために、私は、4人の子どもたちを連れ、歩いて区役所へと出掛けました。とても暑い中、子どもたちもよく頑張ったので、帰り道、娘の大好きなソイフラペチーノを飲みに行くことにしました。本当に暑かったので、とても喉が渇いていたのだと思います。娘はいっきに50㏄ほどごくごく飲みました。するとすぐ、娘が「ベロが痛い」と訴えるので、私は、店員さんが間違えて牛乳のフラペチーノを作る機械で豆乳のフラペチーノを作ったのだと思い、尋ねてみると、なんと店員さんは牛乳でフラペチーノを作っていました。牛乳を飲むことさえ初めてで、しかもいっきに50㏄も・・・未知の領域へ突き飛ばされた私はパニックになりました。これから娘はどうなるのか。
娘のところに戻ると(こどもが多いので外のテラスにいました)、娘は具合が悪そうに椅子に座ったままフラフラとしていました。この子の他に、産まれて1カ月の赤ちゃんを抱いて、更に2歳になったばかりと、3歳のこどもがいる状況で私は正確な判断が出来ず、娘に「歩いて帰れるか」などと馬鹿なことを尋ねていました。娘は返事をする元気もなく、フラフラとしているので、とりあえず、椅子をふたつ並べ、娘を横にしました。娘は苦しそうに椅子の上で右へ左へとゴロゴロしていました。運悪く区役所が家から10分程度のところにあったので、そのとき私は携帯を持っていなかったのです。とにかくセレスタミンを飲ませなければと思い、店員さんにお店の電話を借り、ちょうど家に来てお留守番をしてくれていたヘルパーさんにセレスタミンを急いで持ってきてほしいと電話をしました。
 
再び娘のところに戻ると、娘は滝のように戻し始めたところでした。戻す勢いで体が持ち上がるほど、激しく嘔吐し続けました。この時点で、いつものアレルギー反応と全く違うと私は恐怖を感じ、もう一度電話を借り、119へ電話をしました。そして、そのあと、わたしは店員さんに娘が戻しているのでバケツを貸してほしいと頼んでいました。頭の中が完全にパニック状態で、自分が一体何をすればいいのか判断できずこんなことを頼んでしまいましたが、今となっては、もっと他にやることがあるでしょうと当時のわたしを叱りたい気持ちです。
 
ヘルパーさんは10分とかからず来てくれました。なんとか娘にセレスタミンを飲ませようとしたのですが、絶え間なく吐き続けるので全く無理でした。私は手が震えてセレスタミンの3ミリの目盛りまでお薬を注ぎ入れるのがとても困難な状況でした。
 
この時点で牛乳を飲んで20分程経ちました。胃の中のものを戻しきったのか、嘔吐は落ち着きましたが、意識があるのかないのか、苦しいからなのか、娘は呼びかけても返事をしませんでした。唇や爪が紫色を帯びてきて、恐ろしくて私は「救急車はまだなの?!」と叫んでいました。他のお客さんが集まってきて、「ここは陽が当たって良くないんじゃないか。影に動かしましょうか」という好意にも「こんなに辛そうなのに動かすなんて!出来ません!ここに影を作ってください!」と怒鳴っていました。
 
誰も娘を助けられない、永遠のときが流れていくような感覚でした。救急隊員が来たのは牛乳を飲んで30分は経っていたと思います。ドラマで見たように何か、とにかく何でもいいから処置をしてくれると思っていた私は何もしない彼らに絶望し、色々聞いてくる隊員になんでもいいから早く病院に行ってほしいと心底思いました。
 
ようやく病院に担ぎ込まれたのは牛乳を飲んでから45分くらい経った頃でした。処置室へは娘だけが入りました。40分、おそらくそれ以上経ったところで先生に呼ばれ、処置室へ通されると、娘は意識を取り戻し、こちらをぼーっと見ていました。外で待っているときは「喘鳴が始まったので、入院になります。こちらの病院は満杯なので他の病院を探します」と説明を受けたのですが、中では「おうちで様子を見てください」と説明を受けました。受け入れ先が見つからなかったのだと思います。さらに医師は「こんなにひどいアレルギーがあるのにどうして総合病院にかかっていないのか。」など私たち(そのとき主人は会社から病院に来ていました)がこれまでしてきたことを全否定するかのように散々責め立てました。この責め立ては、初めてのアナフィラキシーショックに衝撃を受けている私を混乱の渦の中へと突き落としました。永倉先生に、「医師でもアナフィラキシーショックに直面する人は少ない。きっと医師自身が衝撃を受けていたのでしょう」と説明を受け、なるほど、確かに病院に搬送されたとき、医師自ら救急車のところまで迎えに来ていたなという考えに至るまで、私はこの責め立てに随分苦しまされました。
 
とにかく、家で様子を見るように言われたので、そのまま家に帰りました。幸い何事もなく夜は過ぎ、翌日永倉先生のところへ伺うと、先生はエピペンを処方してくださいました。先生からエピペンの説明を受けた私は、それはもう、百人の味方を得た気分でした。これさえあれば、もうあんな恐ろしい目に遭わなくて済むと思ったのです。
 
能天気な私は、またいつもと違うようなアレルギー反応が出たら、すぐこれを打てばいいんだ、そうすれば絶対大丈夫なんだと思い込み、またいつも通りの暮らしをしていました。そんな私を震撼させたのが、あの調布の給食の事故でした。情報が錯綜する中、どうやら女の子はエピペンを持っていた、しかも校長先生がそれを打ったのに亡くなってしまったらしいという断片的な情報に、私は衝撃を隠しきれませんでした。
 
エピペンを打ったのに亡くなってしまった・・・
その日から、私は暇があるごとに調布の記事を追いました。どうしてエピペンを打ったのに亡くなってしまったのかということが分からない限り、私の安眠はありませんでした。
三学期もいよいよ終了間近となった頃、待ちに待った検証結果報告書が公開されました。
とても長い内容でしたが、当時の状況がとてもよく分かるものでした。素人の私が読んで、分かったことは、エピペンは打つタイミングが大事なのだということでした。その事実がわかった時点で、色々と情報を漁り、なるほど、喘鳴などの呼吸器症状が出始めた頃にはもう打つのがいいということが分かりました。
この公開直後に娘の卒園式があり、わたしたちは、タイのサムイ島へと旅行へ出掛けました。
 
サムイ島で宿泊したのはホテルでなくヴィラでした。ホテルよりももっとプライベートを重視した形で、別荘のような感じでした。わたしたちに専属のスタッフがいて、ヴィラの電話でスタッフの携帯に電話すると、24時間どこからともなくやってきて、いずこかへ帰って行くという感じでした。料理人もわたしたちの敷地までやってきて、料理を作ると帰って行きます。清掃の担当もどこからかやってきていました。ただ、割と高級なヴィラであったことと、事前に娘のアレルギーについて打ち合わせしていたこと、毎食毎食アレルギーの内容をスタッフにチェックしていたこと、どの料理もとてもおいしいととても喜んでいた娘の姿に、わたしたちは少し油断してしまっていました。
 
それは名残惜しいが翌日に帰国を控えた最後の晩餐時に起きました。娘はスタッフに勧められたお豆腐のスープを飲んでいました。「少し唇がピリッとする」という娘に、「日に焼けたからね」というようなことを言っていました。部屋に大きなプールがついていたので、子どもたちは一日中そのプールで遊び、いい加減体が冷えるから上がってきなさいといって、休憩させても、またすぐプールに戻って、本当に言葉通り一日中プールに浸かっていました。それでみんなこんがり日焼けをしていたのです。
 
娘はその後特に何も言わず食べ続けたので、わたしも気にすることなく食事を楽しみました。おかわりもして、本当にたくさんのスープとジャスミンライスを完食した娘が、デザートを食べ始めた頃、「お腹が痛い」と言うので、「言うことを聞かずにずっとプールに浸かっているからお腹が冷えたんだよ。ベッドで横になってきなさい」とわたしは言ってしまいました。どうしてこのときアレルギーを疑わなかったのか、あとからよく考えてみたのですが、これまで、アレルゲンが含まれたものを食べたとき、娘はそれ以上食べることができなかったのに、そのときはたくさん食べて、完食していたので、わたしはまさかそのスープに卵豆腐が入っているとは予想出来なかったのです。もしかすると、この時点で、娘の卵アレルギーはとても改善されていたので、ここまで食べてしまうことができたのかなとも思いました。また、娘は普段から頻繁に腹痛を訴えるので、きっといつもの腹痛だろうと思ってしまったのです。
 
その後、お腹が痛いと訴える娘を他の子どもたちと一緒に寝かしつけしました。夕飯を食べ始めた時刻からから30分程経っていたと思います。娘は、「痛い、痛い」と言っていましたが、お腹をトントンしてあげながら、それでも結構な痛みを訴える娘を見て「もしかして食中毒かしら」と不安になったのですが、すぐ娘が眠ってしまったので、大丈夫だと、娘たちの寝ている部屋を出ました。
 
その後、一番下の赤ちゃんが泣きだしたので、わたしたちの部屋で授乳をしました。10分くらい経った後、赤ちゃんも寝てしまいました。娘の様子が気になり、わたしは子どもたちが寝ている部屋へと向かいました。ヴィラはひとつひとつの部屋がそれぞれ独立した建物になっていたので、わたしは一旦外へ出て、こどもたちが寝ている建物へと向かいました。入口まで来るととても激しい泣き声が聞こえ、わたしは驚き急いでドアを開けました。すると、娘が、食べた物を戻し、大きな声で泣いていたのです。夕飯を食べ始めた時刻から1時間ほど経過していました。わたしは慌てて、娘をプールサイドのベンチに横にならせました。そして、主人に「様子がおかしい!すぐにスタッフを呼んで!食中毒かもしれない」と大きな声で言っていました。わたしが来たことで安心したのか、娘は泣きやみ、私を見ていました。わたしはそこで何かがおかしいと思いました。娘の鼻水が止まらなかったのです。これはアレルギー反応なのではないかと思ったわたしは、「とりあえずセレスタミンを飲んだ方がいいかもしれない」と娘に一回分のセレスタミンを飲ませました。それでもこの時点では、娘の様子は、夏に牛乳で引き起こされたアナフィラキシーショックと比べると、比べ物にならないくらい穏やかでした。意識もしっかりしていましたし、会話もしっかり出来ました。それでも、咳が出始め、くしゃみが止まらないという症状が続き、わたしは不安で気が動転していました。部屋の電話が壊れてしまっていて、スタッフが来るまで、少し時間がかかりました。そのことがわたしを更に不安にさせましたが、10分ほどでスタッフがやってきました。わたしは、「これはどう見てもアレルギー反応なんだけど」とスタッフに伝えると、彼女は「そんなはずはない。食べた物は豆腐スープでしょう?豆腐スープの中にはあれとこれと・・・あ、豆腐が卵豆腐だった!」という彼女の言葉を聞いた瞬間わたしは娘にもう一度セレスタミンシロップを飲ませていました。急いで車を準備するとスタッフは行ってしまい、わたしは、「救急車を!!」と叫んでいました。このとき、娘の意識はとてもはっきりしていました。目が充血して少し顔が赤らんでいましたが、腹痛も治まり、本当に穏やかな様子でした。ただ、わたしだけが慌てふためいてバタバタとしていました。
 
しかし、やっぱり反応はどんどん進行して、娘はゼイゼイと言い始めました。あんなにハッキリと大きな喘鳴を聞いたのは初めてでした。これを見た瞬間、わたしは調布の検証結果報告書で読んだ光景が頭に浮かび、何の迷いもなくエピペンを打つ決意をしました。「エピペンを打つよ」と娘に伝えると、娘は泣いて「嫌だ嫌だ」と抵抗しました。そんな彼女の上半身を主人が、太ももを私が押さえつけ、エピペンを打ちました。その後、すぐ車が来たので、急いで娘を担ぎ入れました。ヴィラから病院までは15分程でした。そのあいだに娘の喘鳴は消えていましたが、顔は蒼白でした。
病院に着いたら、彼女はすぐに酸素をつけられ、点滴をし、ステロイドのようなお薬を入れられました。先生からは、とてもいいタイミングでエピペンを打ったねと言われました。
 
その後、アレルギー反応が反復することなく、無事朝を迎えることができましたが、彼女の顔はすっかり膨らんで、これだけお薬を使ってもこんなに浮腫むのかととても怖い思いをしました。果たしてこれから何時間も飛行機の中に缶詰めになって、日本に帰国して大丈夫なのか本当に不安でした。フライトギリギリまで先生の診察が続き、大丈夫と言われ、わたしたちは空港へ向かいました。この際、先生から、アナフィラキシーショックは本当に怖いものだから、日本に帰ったら、主治医にお願いして、至る所にエピペンを準備しなさい。家はもちろん、学校、お教室、車の中・・・どこで起きても大丈夫なように、万全の準備をしなさい。ただ、タイにはエピペンがないので、同じものは処方出来ない。同じ内容の薬を処方するので、帰るまでにもし万が一何かあれば、近くにいる医療従事者に頼んで、注射してもらいなさいと言われました。このとき、ふたつあった方が安心でしょうとエピペンを2本処方してくださった永倉先生に心から感謝しました。タイへは2本持参していたので、手元にはまだもう一本残っていたのです。
その後、私たちは飛行機へと乗り込み、サムイからバンコクへ、そして日本へと向かいました。とても怖かったので、娘には可哀そうでしたが、家から持ってきた軽食やおやつ以外は食べさせられませんでした。幸い深夜便だったので、娘は食べるよりもよく寝てくれました。
以上がわたしと娘が経験した、食物アレルギーによる緊急事態です。この恐怖は経験した人にしかわからないと思います。しかし、この他にも娘を連れて何度も救急へ駆け込んでいる私が思うことは、アナフィラキシーとは正に時間との勝負で、その対処は早ければ早いほど良いということです。私には、キャビンアテンダントとして活躍していた友人がいますが、彼女が受けた訓練で、講師からはエピペンについて「迷ったら打て」と言われたと言っていました。
 
多くの方々の努力で、ようやく日本でもエピペンが使えるようになり、保険適応というところまでやってきました。せっかくいいお薬があっても使えなければ意味がありません。多くの方にエピペンの存在とその使い方を理解していただけたら、とても心強く思います。私のこの経験文が少しでもお役に立てれば幸いです。
 

経験 その3

 
小麦を摂取したのちにアナフィラキシーになった女子医学生の例
 
私は中学生の時に小麦による食物依存性運動誘発性アナフィラキシーを発症し、食事の前にはインタール顆粒(永倉注:抗アレルギー薬です。食事の15分前に内服すると有効な場合があります。)を内服していました。多くは蕁麻疹のみの症状ですが、アナフィラキシーを起こし、エピペンを使用した経験があります。
 
普段から小麦は好きですが、体調の悪い時は症状が出やすいので食べないようにしていました。その日は春休みで体調も良く、家族でイタリア料理を食べに行きました。インタール顆粒を内服した後にパスタを食べました。
 
食事中は何も起こらず、2時間ほど経ってから電車に乗り帰途に着きました。小麦を食べて激しい運動をすると食物依存性運動誘発性アナフィラキシーになった経験があり、運動量には気を付けてウィンドーショッピングをしながらゆっくり歩きました。
 
レストランから駅までは徒歩で5分程度でしたが電車に乗ってから蕁麻疹が出てきました。電車に乗っている間(約10分)に蕁麻疹が体中に拡がってきました。
 
最寄り駅から自宅までは徒歩10分程度ですが、駅でタクシーがつかまらず仕方なく徒歩で帰ることにしました。
 
自宅に戻ってからプレドニン、アタラックスP、ブリカニールを内服し、ベッドで安静にして症状が改善するのを待つことにしました。普段は内服して1時間程度で蕁麻疹が改善し良くなるのですが、その日はのどの違和感(のどが腫れたような感じ)や下痢も出てきて、蕁麻疹も全身に拡がり顔も腫れ上がりました。
 
症状が良くなる気配が全くみられませんでした。さらに吐き気から嘔吐しました。これは普通ではないと感じ、妹に頼んで救急車を呼んでもらいました。
 
救急車が来る前にのどや気管の中が腫れた感じになり、息が吸いにくく、息苦しさを感じたので、これはただのジンマシンとは違うとわかりました。アナフィラキシーと考え、バッグに入れてあるエピペンを持ってきてもらうことにしました。エピペンの使い方は事前に覚えていたのですぐに洋服の上から右の太ももの外側に注射をしました。
 
その後は意識が遠のいてしまい(永倉注:アナフィラキシーによる血圧低下と、気道が狭くなったために血中の酸素が不足したためと思われます。)その先のことは覚えていません。気付いた時には病院のベッドの上にいました。病院ではステロイドの点滴を受け帰宅しましたが、エピペンを使用しなければもっと重篤な状態になっていたと思います。
 
私の場合はのどの違和感を感じたこと、言い換えると呼吸困難を感じたことがエピペンを使用しようと判断した理由でした。
 
エピペンを自宅で使用したため、その後の救急病院での治療に良く反応したと担当の先生から言われました。
 
入院しないで帰宅できました。症状の改善は速やかで、エピペンを使用する判断をしてよかったと感じました。
 
今後はエピペンは手放せません。  以上
 

院長コメント

 
この方は当時、医学生でした。現在は立派な女医さんです!
 
 (医者でもアナフィラキシーになるのです!)
 
彼女は医学生ですから、頭ではアナフィラキシーのことはよくわかっていました。しかし知識があってもアナフィラキシーの経験がなければ、エピペン注射にはなかなか踏み切れません。彼女は以前にもアナフィラキシーを起こしており、どのような状態がアナフィラキシーであるか経験がありました。それが役に立ったといえます。
 
今回の体験談の中で、まずジンマシンがでて、その後それが全身に広がりますが、それはあくまでじんましんであり、症状がじんましんのみであれば、それはアナフィラキシーとは言いません。
 
アナフィラキシーとは放置すれば生命の危険があるとい状態、例えば血圧低下による失神、気道が狭くなり呼吸困難になる(酸素不足)状態をいいます。厳密には両者がそろって初めてアナフィラキシーですが、どちらか一方でも生命には危険なのでアナフィラキシーといいます。
 
エピペンの中に入っているエピネフリンは狭くなった気道を開き、低下した血圧を上昇させます。
 
体験談の中で、エピペン注射後、失神したということは、もう少し注射のタイミングが遅れていたら、どうなったかということを考えるとぞっとしますね!

2014/8/13