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 院長コラム


VOL.5 ロンドン交友記(その1)

 

(1)トップバッターは現在も家族ぐるみでお付き合いしているDr.Lee です。
 
 もう25年になります。彼は香港チャイニーズです。Tak(タック)と呼んでいます。彼は小生のことを Toshi(トシ)と呼びます。初対面とき、チャイニーズアクセント(中国人によく見られる英語のナマリ、日本人ならばrとlの区別が難しい、フランス人のrはかすれた破裂音、ドイツ人のrはやや巻き舌など)がまったく無いので不思議に思ったのですが、その理由はだいぶ時間がたって、彼が受けた教育の内容、生い立ちが徐々に分かるにつれて、なるほどと思ったものでした。
 
 ある日、研究室の雑談で
Tak <香港で料理学校を経営している母親が、先週オーストラリアで料理の講習に行ってきた。>というのです。
皆 <フーン>と上の空。
小生 <誰に教えたの?>
Tak にこりともせず <Australian Prime Minister !>
皆 <シーン>
 
 彼のおじいさんとお父さんは香港の有名な実業家だそうです。ロンドンから帰国後、香港に遊びに行きました。彼に招待されたのです。あるとき、今日は海の見える丘にあるおじいさんのお墓に案内してくれました。とても大きなドーム型のパゴタのようなお墓なのです。横にプールのような池(?)があり、あきれて見ているうちにどこかで見たような気がしたので、彼に聞いたら、初めてニヤニヤしながら、ここで007のロケをしたんだと笑っていました。
 
 彼はお父さんの方針で中学生のときにアメリカ、西海岸の学校に行ったそうです。しかし、この西海岸での教育はどうもお父さんの気に入らなかったようで、高校は英国のパブリックスクールへ送られました。彼はここでさまざまなことを学んだと言っていました。 そのときの逸話をひとつご紹介しましょう。 英国のパブリックスクールの生活が始まってまもなく、先生のお家のディナーに招待されました。寮の食事と異なり、おいしいご馳走に夢中になっていた彼は突然テーブルについていた全員がナイフとフォークをカチャカチャさせ始めていることに気が付きました。
 
 なんとそれは、西洋式のマナーをよく知らない英国に来たばかりの15歳の香港チャイニーズに、マナーを注意して彼を萎縮させないような家族の方々の配慮だったと気付いたときの気持ちは今でも忘れられない、と言っていました。
 優秀な彼は、その後ケンブリッジ大学のクレアーカレッジに合格しました。このカレッジはケンブリッジの中でも特に有名な名門カレッジのひとつです。子供のころオーストラリアのフライング ドクター(オーストラリアは広いので、往診は飛行機で行くのだそうです)になりたかった彼は、その後医師になったわけです。ある意味では普通のイギリス人よりもエリートというわけでしょうか。
 
 彼の奥さんは香港チャイニーズでクラシックバレーのバレリーナでした。モスクワにバレー留学しようと思っていたころ、香港に帰省してきた彼と出会い、結婚したそうです。そのときの口説き文句は<女性の幸せは、家庭にある!>この一点張りで口説いたと彼は自慢しますが、きっとそれ以外にもあったとおもいます。
 彼はその後、ハーバード大へ留学し、たくさんのすばらしい論文を書いて、数年後に英国に帰国し、ロンドンの某大学の呼吸器、アレルギー科の教授になり、よく日本のアレルギー学界に招待され、講演をしています。そのたびに何とか時間を作れるときは、会って食事をしたり、飲んだりしています。日本食は納豆以外は何でも大好きです。
昨年、小生は7年ぶりにアメリカのアレルギー学会に行きました。この次はロンドンの学会に行って、二人で実験の後、よく行ったパブで飲もうかなと思っています。
 
(2)次はドイツ人のご夫婦です。
 
 ドイツ人と日本人はもともとウマが合うと言われるのですが、小生たちもそうでした。
 二人ともすらっとして身長が高く、180-190cmで、金髪碧眼、彫が深くなるほどこれがヒットラーが愛したゲルマン民族かと思わせる二人でした。なんと奥さんのレナータは化学系の技師なのですが、頼まれて一流ファション雑誌(もちろんVogueではありませんが)のモデルもやっていたそうです。
 妻がレナータと知り合ったきっかけはロンドンの成人学級でした。植民地をたくさん持っていたイギリス人は外国人にもこれらのさまざまの成人学級に、もちろん無料です、参加できます。これによりイギリス文化に親しみを持つようになるのでしょうか。
 閑話休題。イギリス人は外国人の扱いになれています。たとえばその国の料理はその国の人間に作らせます。ですからロンドンでカレー料理を食べようとすると、インド人の店にゆき、インド人がインドで作っているそのカレー(こいつが本当に辛い!)を食べさせてくれます。日本のように日本風に食べやすくした、何とかかんとかジャワカレーなどどいう味にはお目にかかれません。日本料理店に行っても同じです。植民地支配の達人ですから、彼らは。其の点、世界の帝国主義の争いの最終楽章にあたふたと駆け込んだ日本は・・・・。
 
 さて、レナータとディーターとロンドンの目抜き通りをおしゃべりをしながら歩いてたときのことです。滞在も半年がたちこの仲のよい二人とならばおしゃべりを何としながらオックスフォードストリートでウィンドウショッピング、かっこいいと思ったとき、ショーウィンドウに映っているのは、かっこいい二人と、其の横にいるみっともないちんちくりんの二人! 次の瞬間、それが自分たちだとわかった時の恥ずかしさ、悔しさ、悲しさ! これが現実だと分かっても、あのショックの場面はいまだ鮮明に脳裏に刻み込まれています。
 さて小生の父は耳鼻科医ですが、昭和35年ころまだ海外旅行に対する規制が強く、たとえば持ち出すドルの金額にきつい制限があるため実質的に長期の旅行が不可能だったころ、パリの国際学会出席の帰りにミュンヘンのビアホールで上機嫌のドイツ人のおじさんから、肩をたたかれ、<今度はイタリー抜きでやろう!> といわれたそうです。対日感情の悪くないドイツでは時に遭遇することはあると複数の旅行記にも書かれていますが、実際に言われた父は大変に驚いたそうです。戦後のアメリカ医学を講義された私たちと異なり、昭和16年に医学部を卒業した父たちの時代はドイツ医学の全盛時代です。医学用語はもちろんドイツ語かラテン語でしたから、ある程度ドイツ語はしゃべれたようです。
 さて、レナータとディーターのお宅に招待されたときのことです。食事の後、居間でおしゃべりをしていたときのこと、小生が行った言葉の一つが気になったディーターが手を挙げ、ちょっと待ってといって会話を中断し、席を立ちました。なんだろうと思っていたら、本棚に行き、なんと辞書をめくりだしたのです。そして、小生の行った何とかという単語の意味を確認し、満足そうな表情で帰ってきました。あれには驚きました。どうでもいいような話、たとえばロンドンは天候が変わりやすいので、それにちなんだ話には事欠かないのです。そんなたわいの無いおしゃべりの中でも、聞いた単語の意味がはっきりしないままにはできないゲルマン魂! (何かワーグナーみたいですけど!)。これを見た瞬間、何事もおろそか、あいまいは我慢できないドイツ人の国民性を垣間見た気がしました。
 
 この几帳面さはすぐに思い当たりますね。ドイツ製の器具の堅牢性と、とにかく壊れにくいことは有名ですね。小生も研修医のころ先輩がアルバイトのお金でブラウンの電気かみそりの最新型を買ったので、古いのをくれたのです。其の先輩は、夜も研究室の床に毛布を敷いて寝るというような生活をしていました。きっと不精ひげを看護婦さんから注意されたのでしょうか。さてそのブラウンの電気かみそりは大変重宝しました。昭和50年ころ研修医は本当に貧乏でした。大学病院で支給されるお金は月に1-2万円でした。アルバイトの当直などをやっていました。其の研修医時代にブラウンの電気かみそりなんてちょっとかっこいいじゃン! このブラウンはつい昨年まで、なんといただいてから約30年間、メッシュを交換しながらありがたく使っていました。特に昔はがっちり作ってあったんでしょうね。
 さてこのやさしくて、時に理屈っぽい二人ですが、あるときこんな話をしてくれました。ドイツでは離婚して、男性が失業すると、もしも奥さんが仕事をしてお金を稼いでいるならば、失業中の男性に生活費を渡さなくてはいけない。これが真の男女の平等性であるというのです。流石と、恐れ入ったものです。
 
 この二人も、日本に遊びに来ました。伊豆のホテルの和風の離れと露天風呂が気に入ってくれました。 以上 
  

2014/8/15

 
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